倉良写真館

徳島県神山町の写真館です。

「昔の寄井座はね…」古老が語る寄井座の記憶は意外なものと繋がっていた。


「昔は娯楽が少なかったからね。このあたりの若者が楽器を持ち寄って、親和楽団という楽団をやってたの。演奏したのは当時流行していた曲。田畑義夫とかね。
歌の伴奏なんかで、他の地区に呼ばれて行ったりもしたなあ」

寄井座の近所にお住まいの水上さん、そして私の祖母に、賑わっていた頃の寄井座の話を聞きました。

寄井座は現在、神山アーティスト・イン・レジデンスの展示会場となっています。
阿部さやかさん、ズスケン・ローゼンタールさん、ニック・クリステンセンさんの作品が展示されています。

建物の内部は外観から想像する以上に広く、高い天井が開放的です。
うちから歩いて3分の場所にありながら、初めて中に入りました。

「入り口の脇におばあさんがいて、お金を払って札をもらい、その隣の受付の人に渡して入場していた。入場料は1銭か2銭だったかな」

「子供のときはこの中でよく遊んだ。
一番困ったのは、しばらく閉め切ってあった後にこの中に入って遊ぶと、わいたノミが体に上ってきて!それはそれは難儀した」

「この寄井座で素人芝居もしたなあ。時代劇だよ。刀や番傘持って、蓑着てね。客席の左右に花道があって、タンタンタンターンと出てくるの」

「客席の壁側は枡席になってたの。先に場所取りして、後から彼女が来るのを待ってたりね。
昔は林業が盛んだった。杉を一本切れば娘をひとり嫁さんにやれるくらいの金になった。木材業者が一番羽振りが良かったね。浄瑠璃や三味線の娯楽を楽しむ余裕があったんだね」

「劇場としてあまり使われなくなると、ここは縫製工場になった。ミシンをたくさん置いてね。女性がたくさん働いていたよ。
天井の広告板がところどころ抜けているでしょう。あそこから蛍光灯を吊ったの。」

「映画も上映したよ。寄井の他に上角や広野にも映画館があった。
徳島市に映画のフィルムを持っている業者があって、そこから借りてくる。上映が終わったら車やオートバイで次の映画館に持っていっていた。
散髪屋のとしちゃんとかが運んでいたなあ」

昨年亡くなった私の祖父は、親和楽団でバイオリンを演奏していました。
イン神山の紹介記事に(イン神山 寄井と寄井座(二))親和楽団メンバーの写真がありますが、
おそらく祖父が撮影したのでしょう、バイオリンを持つ姿は写っていません。一番左の男性は祖父の弟ですが、こちらも故人となっています。

私の小さい頃、祖父の仕事場からはバイオリンの音色がよく聞こえてきたものです。
「じいちゃんはむかし、楽団におったけんなあー(楽団にいたんだよ)」と、どこか誇らしげに話をしてくれました。

この田舎の山の町で?楽団?と不思議に思っていましたが、林業と戦後の活気をもってすれば、今よりずっと賑わっていたのだろうなと感じます。
こんな広々とした会場で気心しれた仲間と演奏するのはさぞ楽しかったことでしょう。


バイオリンを奏でながら、楽しかった若き日を思い出していたのかも知れません。
そしてその音色は私の「寄井座」の記憶の始まりでもあったのでした。

現在の寄井座の管理・運営はこちら
NPOグリーンバレー→イン神山


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